言葉狩りの季節
BGM代わりのニュースを流しながら、原稿に目を通していた。
世の校正者達がそろって言うのだ。『わ』とか『かしら』とか『よ』とかそういった語尾で喋る女性はあまりいないと。真赤に校正された経験から僕は自分でチェック時にそういった言葉を排除するようになった。キャラクターの性別を分ける記号としては便利なんだけどな。そんなことを考えつつ文字をトル。
そうやって作業をして著者校正は無事に終わった。一息つこうと思ったけれども、室内には取った語尾が山積みになっている。山になっているのはそれだけ使っていたということでもある。試しに一つ手に取ってみると意外と重量があった。『わ』一文字でだけで250ミリペットボトルくらいはありそうだ。
部屋には文字がごろごろと転がっていて、足の踏み場もない。紙に張り付いていた時と、とった後で質量が違うのがいつも不思議でならない、使い道がないな、と思いながら手の中で文字をもてあそぶ。ふとほかの人はどうしているのだろうかと思って同じように執筆業を営んでいる後輩に連絡を取ってみた。
「やあ、久しぶり。突然の電話で悪いんだけど、君は校正の時に取った文字をどうしてる?」
「あー、あれ、困りますよね。うちは分別が厳しくて業者に特殊引き取りを頼まなくちゃいけなくて。馬鹿にならないんで、最近では自分で処理してます。先輩もやってると思いますけど、ほかの作品に使ってみたり、過剰にルビをふってみたり、とかですね」
そのために特定のひらがなが多用されるキャラクターを登場させたのだという。彼が口にした名前は、まるでやる気のない人が生み出した勇者みたいだった。
「あとはそうですね、料理してみるっていうのもいいですよ」
「料理?」
「最近のインクは大豆由来ですからね、食えるんですよ」
礼を言って、電話を切った。なるほど料理か。それは知らなかった。どんな調理方法でもいけますよと、後輩氏が最後に教えてくれた。
プリンタを確認すれば、僕のインクも大豆由来だった。これなら食えるのだろう。煮付けにでもしてみようか。そんなことを考えながら、『わ』をもって台所へ向かう。
「冷え込んできましたが、読書の秋、そして実りの季節です。皆さんは校正をしていますか? メールやチャットアプリ、SNSなど、文字による交流が盛んな若い世代の間で流行っているという、言葉狩りについての話題です」
BGMがわりにつけていたニュースのアナウンサーが遠くでそう告げた。
オーエスの掛け声ははるか昔
男が一人、バス停のベンチに座り込んでいた。その口は規則的に動いて、何事かを呟いている。
視界の先にあるのは、人々が集う発電スペースだ。国によって定められた各自のノルマを減らすために、空いた時間をつかって発電にいそしんでいる。
集まった人間に指示を出すのはAIだ。人々の動きを統制し、力を合わせて発電させる。
等間隔に並んだ人間、そして旗。AIの制御によって旗が上がり、すぐに下がる。
人々の手には、綱が握られていた。カーボンナノチューブ製の綱だ。蓄電器とつながったそれを、人々が引いている。
プロ綱引師、それも全体を統率するための声かけ役だった男にとって、それはひどく滑稽な姿に見えた。タイミングを合わせるのではなく、機械の指示に従って、各人が徐々に力を加えている。
あれでは駄目だ。相手が力を合わせてきたら、一瞬で引っ張られてしまう。
男が奥歯に力を込めた。ぎり、とこすれて不愉快な音が頭の中に響く。
その様子を見ていた子供が一人、男に声をかけてきた。
「おじさん、どうしたの?」
「いや、なに、ちょっと、綱引を見てた」
「発電のこと?」
「そうだ、発電、のことだ」
男は子供にとって、綱引という競技が既に存在しないのだと、その一言で理解した。スポーツとしての綱引はすでに下火だ。常日頃から発電に参加している子供たちも多く、運動会の種目からも姿を消した。
「おじさんが子供のころは、みんなで声を出したんだ。オーエス、オーエスって」
「なにそれ」
「そういう掛け声があったんだ。皆で力を加える瞬間を合わせて、相手に勝つために……」
「おじさん、発電は勝ち負けじゃないんだよ。いかに無駄なく発電して、電気をためるかが大事なんだ」少年は知らないなら教えてあげる、といった具合に軽く口にした。
「……そうか、そうだな」という男の呟きを聞いて、少年は立ち上がった。
「それじゃ、僕も発電しなきゃいけないから」
「ああ、がんばって」
発電の列に加わる少年を見送りながら、オーエス、と男はもう一度口にした。
視線の先、AIによって制御された手旗信号に操られる人々に、それは届かなかった。
この後、男は世界初となるプロ発電チーム「オーエス」を作ることになるが、それはまた別のお話。