オーエスの掛け声ははるか昔
男が一人、バス停のベンチに座り込んでいた。その口は規則的に動いて、何事かを呟いている。
視界の先にあるのは、人々が集う発電スペースだ。国によって定められた各自のノルマを減らすために、空いた時間をつかって発電にいそしんでいる。
集まった人間に指示を出すのはAIだ。人々の動きを統制し、力を合わせて発電させる。
等間隔に並んだ人間、そして旗。AIの制御によって旗が上がり、すぐに下がる。
人々の手には、綱が握られていた。カーボンナノチューブ製の綱だ。蓄電器とつながったそれを、人々が引いている。
プロ綱引師、それも全体を統率するための声かけ役だった男にとって、それはひどく滑稽な姿に見えた。タイミングを合わせるのではなく、機械の指示に従って、各人が徐々に力を加えている。
あれでは駄目だ。相手が力を合わせてきたら、一瞬で引っ張られてしまう。
男が奥歯に力を込めた。ぎり、とこすれて不愉快な音が頭の中に響く。
その様子を見ていた子供が一人、男に声をかけてきた。
「おじさん、どうしたの?」
「いや、なに、ちょっと、綱引を見てた」
「発電のこと?」
「そうだ、発電、のことだ」
男は子供にとって、綱引という競技が既に存在しないのだと、その一言で理解した。スポーツとしての綱引はすでに下火だ。常日頃から発電に参加している子供たちも多く、運動会の種目からも姿を消した。
「おじさんが子供のころは、みんなで声を出したんだ。オーエス、オーエスって」
「なにそれ」
「そういう掛け声があったんだ。皆で力を加える瞬間を合わせて、相手に勝つために……」
「おじさん、発電は勝ち負けじゃないんだよ。いかに無駄なく発電して、電気をためるかが大事なんだ」少年は知らないなら教えてあげる、といった具合に軽く口にした。
「……そうか、そうだな」という男の呟きを聞いて、少年は立ち上がった。
「それじゃ、僕も発電しなきゃいけないから」
「ああ、がんばって」
発電の列に加わる少年を見送りながら、オーエス、と男はもう一度口にした。
視線の先、AIによって制御された手旗信号に操られる人々に、それは届かなかった。
この後、男は世界初となるプロ発電チーム「オーエス」を作ることになるが、それはまた別のお話。