おいしい煮つけになりたい

唐瓜直が何やら日記を書いたり、即興創作(140文字×X+α)したり、メモしたり。というブログ。

打検の音が今日も聞こえる

 打検の技術者として生きてきたが、新規工場を立ち上げるということでヘッドハンティングを受けた。誘いを受けた結果、給料は増えるし時間も短くなった。音は主に二種類。甲高い音と、似ているけれど少し不協和音が混ざっているような音。聞き分けるのは簡単で、リズミカルに叩いては缶を選別していく。

 それほど大きくなくて、ホールトマトとかの入った缶詰と同じくらいだ。一日に数個、濁った音の商品が出てくるからそれを取り除く。このラインには検査者は自分だけだ。けど稼働時間も流れてくる量も少ないから特に苦労はしていない。一人で日々叩いて、避けて、それで一日が終わっていく。はずだった。

 ふと思ったのだ。俺はこの間の中身を知らないと。昔は果物の缶詰を作る工場だった。桃とパインとみかん。中身はわかっていた。今は違う。音を先に覚えて、中身がどうとかそういうのは一切知らされることがないまま選別を繰り返していく。けして知る必要はなかった。だけど、好奇心が芽生えてしまった。

 

 廃棄するためによけた缶詰を一つ、持ち出してしまった。ゆるゆるとした職場で、ほかのラインでも廃棄の品を持って帰っていいことになっていた。俺の担当に関してはそうなっていなかったのだけど、結局、持ち出したことが問題になることはなく、俺の好奇心はあっさりと満たされる。そう。満たされたんだ。

 家に帰り、缶切りで上を開ける。途中からおかしなことには気が付いていた。中身からひどくおびえたような気配が漂ってくるのだ。ゆっくりと丁寧に開ける、というのも変な話かもしれないが、俺は中身に気を使った。生き物が入っているわけでもあるまいし、なんて考えはもうなかった。呼吸の音が聞こえた。

 缶を切り開くと、中には少女が入っていた。膝を抱えうずくまり、局面を描く壁に寄りかかり、一度だけ弱弱しくこちらを見た。小さく「助けて」と声が聞こえた。

 弱っていた少女だったが、日に日に健やかに育ち、俺を父と呼び、この春、高校に入る。会社が用意してくれた戸籍をもとに。これが必要でしょうと、微笑む事務員のあの笑顔を忘れることができない。好奇心なんて、持たなければよかったと、何度もため息をついた。もちろん、お前には見せなかったけど。

 俺を父と呼ばないでくれ。俺は今でも選別を続けているんだ。幾人も幾人も。廃棄のレーンに、弱った音を送り続けている。