おいしい煮つけになりたい

唐瓜直が何やら日記を書いたり、即興創作(140文字×X+α)したり、メモしたり。というブログ。

【12月のメモ】メモできることがない

 美術館とか行けばよかった。

 忘年会や、クリスマスに後輩氏に誘われて男二人で上野の居酒屋で酒を飲む、なんていうイベント以外記載することがないのであった。

 年を取ったもので酒に酔いやすくなった気がする。健康のためにも控えようと思ってはいるのだけれど。

 

 長いこと取り組んでいる原稿も終わりが見えてきたけれど、どこに出すべきかなといった具合で、少し悩んでいる。俺、これが終わったら一人称書くんだ……という決意を胸に秘めているが、この文体は死亡フラグなので書き終わらないか三人称と戦う羽目になるのでは、と気が付き震える。

 三人称の何がいけないって、カメラのイメージが強すぎてあれもこれもそれも描写しなくちゃいけないのではと思ってしまうところである。もうちょっと、削っても許される、はず……。

 書き方に答えはないから読みやすくて伝わりやすければいいのだ。きっと。

 今年は仕事も忙しくて満足に活動できなかったので、来年はもうちょっとどうにかしたいものである。と、毎年のように思っているな。

 

 読んでる方は少ないでしょうが、本年もお世話になりました。良いお年を。

失敗しているのかもしれない

 寒い冬の日に、三輪の自転車をこぐおばさんがゆったりとした呼び声を上げていた。

アロエェーぇ、アロエー」

 見れば後部のかごには山のようなアロエ。一鉢載せているだけなのに、やけにこんもりとしていて、ひどく目立つ。

 地元では見たことがない光景だった。大学進学を機に東京に出てきてから、世の中にアロエ売りという職業があるのだと初めて知った。不思議そうにアロエ売りを眺めるわたしに、付き合っていた彼が教えてくれたのだ。

「あれはアロエ売りだね。ほら、なんたってアロエは万病に効くから」

 そんな彼も先月亡くなった。事故に巻き込まれて。

 つい彼のことを思い出していたからか、アロエ売りのおばさんをじっと見てしまった。

 きこきことさび付いたチェーンが回る音をさせながら、アロエ売りのおばさんはわたしの方へとハンドルを切った。

「なんだい、あんた、アロエほしいのかい? どこが悪いんだい? 怪我があるのかい? それとも、内臓?」

 「あ、いえ」

 そうではないんです、と小さい声でわたしは答える。「亡くなった彼のことを思い出して」

「ああ、それならアロエがいい」とおばさんは言った。ダウンコートによる着ぶくれのせいか、それとも体型のせいかひどく丸々としている人だった。だけど声はどこか鋭くて、丸みがない。こちらに口を挟ませない勢いもあった。

 「アロエはね、何にでも聞くんだよ。擦り傷打ち身にうつ病捻挫、恋の病にうってつけってね」

 おばさんはリズムよく口上を述べながらサドルに乗せたでっぷりとした体をひねって、後部の荷台からアロエの葉をいくつか折ってみせる。

「忘れたいわけじゃないんです」

 わたしにアロエの葉を押し付けようとしてくるおばさんに、かろうじてそう伝えることができた。

「忘れることもできるけれども、なに、アロエにはもっといい使い方があるのさ」

 それからおばさんは荒唐無稽な話を言って聞かせた 。

 まずはアロエを中火でよく煮出す。その際透明な果肉と、緑の表面はあらかじめ別にしておくこと。よく煮詰めていくとやがて青臭さが消えてくる。とろみも出てくる。そこからは強火をキープ。ヘラでかき混ぜていく。焦げてもいい。とにかくかき混ぜる。すると最後に黒い粘り気のある軟膏が出来上がる。

「それをね、恋人を思い出しながら、適当な相手に塗り付けな」

 つむじ、額、鼻の頭、頬、のどぼとけ、鎖骨と鎖骨の間、浮き上がった肩甲骨や肋骨の隙間――おばさんはどこに軟膏を塗るのかを言いながらわたしにアロエの葉を握らせた。

「するとあら不思議、死んだ相手と再会できるのさ」

 お代は成功したらでいいよ。おばさんはそう言ってきこきこと自転車をこいで行ってしまった。

 

 そんなこともあったなと 、年の瀬の街を歩きながらわたしは思い出す。

「どうしたの?」

「ううん、何でもない」

 わたしは、よみがえった彼と街を歩く。つないだ手は暖かい。名前や見た目は、代わってしまったけれど、中身は間違いなく彼だ。

 あの日以来おばさんを見かけていない。こうやって彼と再び出会えたのだ、いつ料金を請求されるだろうかと思いながらわたしは彼の手を握った。

 どうしてか、鋭いとげのような感触が手のひらに広がった。